2018.01.15 Monday
ヤワラー御三家ホテル
楽宮大旅社
バンコクのチャイナタウン、ヤワラート。
日本人貧乏旅行者の間で知られた宿が三つある。
一つは小説?にもなった、楽宮旅社。
看板が残っていた。よく見ると大旅社とある。
初めて行った83年当時、確か1泊50バーツだったと思う。
その頃、現在の安宿街カオサンも外国人に知られてきた頃で、
老舗のVSゲストハウスが一泊25バーツだった。
日本人がそれでもヤワラーに泊まったのは、地方へ旅するのに駅が近かったのと、建物や看板に漢字が多くてなんとなく安心感があったのか?
そして、屋台や飯屋が多かった、特に楽宮下には北京飯店という日本食を出す店があったことも理由だろう。
小さな通りなのに何故かサンティパップ大通り
この大通りに楽宮があった。
楽宮と一階の北京飯店、ともに閉じてしまった
もう楽宮に泊まろうとは思わないが、北京飯店には行きたかった。残念。
楽宮の入口
初めての海外がバンコクだった。
ドンムアン空港に夜遅く着いて空港の床で仮眠し、翌朝バスでホアランポン駅へ。
初日、実は楽宮に上がるこの階段が薄暗く、初めてだったこともあり胡散臭くて登れなかった。
一泊目はマレーシアホテル近くのBoston Innという宿に泊まり、二泊目から楽宮に移った。
まあ、決して清潔とは言えなかった。
ジュライホテル
宿泊日数としてはこのジュライが一番多かった。
エアコン付きの宿では一番安い部類で、楽宮に比べたら部屋も広く、清潔だった(比べたらだよ)。
朝は北京飯店で、お粥と梅干し、アサリの味噌汁とかを食べていたかな。
夜は裏のフードコート(屋台の集まっているだけ)や表の屋台で賄えた。
そのジュライも閉店。
ジュライが満室の時は台北旅社に流れるのがパターンだったが、台北旅社もクローズしていた。
クルンカセム・スリクルンホテル
バンコク楽宮ホテルだったかを書いた作家は、一週間程スリクルンホテルに泊まり楽宮に通ったと、誰かから聞いたことがある。
今でも残っているのはこのスリクルンだけだ。
レンガ色だったのが、群青色に塗り替えていた。
今この界隈にはB&Bやカフェも出来始め、白人旅行者も普通に歩くような街になっている。
どれも、個性的な宿だった。